特に気になったのが29節
わたしがこの場合、「良心」と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。
通り一遍の解釈ではダメだと思う。ただ、私が現在の日本のキリスト教会に批判的である原因の一つに「国旗(日の丸)・国歌(君が代)」への接し方がある。
国旗・国歌に批判的なクリスチャンは総じて「良心の自由」というのを強調する。
「良心の自由」ってなに?
良心:
善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心の働き。「―がとがめる」「―の呵責(かしやく)」(大辞泉)
何人かのクリスチャンにとって、日の丸を掲揚したり、君が代を演奏、斉唱したりするとこの良心とやらが侵害されるらしいんだが、そもそも良心ってどうやって侵害するんだ?
卒業式で「君が代、歌うのやだなぁ」と思っていたけど、周りがみんな歌ってるから自分も歌ってみたら、卒業式が終わる頃には君が代が好きになってたみたいな... こういうのを良心の侵害って言うのか?
でもこれって
@ただ自分の好みや、嗜好が変わった
A洗脳
のどっちかじゃん?
今の日本の日の丸、君が代が洗脳だとは全く思えない。軍靴の音が聞こえてくるとか言うやつはただ幻聴が聞こえてるだけだからさっさと病院にでも行って来い


他の宗教にちょっと触れるくらいで自分の良心の自由とやらが侵害されるくらい弱い神経の持ち主っているのか?もうただの被害妄想としか思えないんだが。次はいったい何が見えてくるのか楽しみ
