自分自身の中でも大きな変化がおきた。
最初は何のために働くのかわからなかった。会社に反発し、社会に反発し、不満ばかりが自分の心の中を占めていた。仕事よりも自分の生活を優先し、残業など一切やらなかった。
1年が過ぎ、会社からあるものを開発しろと命ぜられた。何の意味があるのかわからなかったが、面白そうだからやってみようと思った。期限は1年。担当は自分ひとり。パートの女性がルーチンワークの部分を手伝ってくれることになっていた。最初の数ヶ月は手探りで、実験をし、文献を漁った。
3ヵ月後。最初のサンプルを作ることができた。でも、実際使ってみないとどうなっているのかわからない。分析装置で測定することになったが、装置が空くのは深夜のみ。だから徹夜で測定した。 結果は... 当たり前かもしれないが「使えない」であった。でも収穫もあった。何を目標にすべきかがわかったことであった。
求められる性能を出すために必死になった。それに答えてくれるかのように徐々に品質も上がった。様々な人から有用な助言を得ることができ、いくつかのブレークスルーも経験した。
期限までに生産性を上げるため、パートの女性に気付かれないように作業の手順とそれにかかる時間を測定した。結果を見て愕然とした。あまりにも効率が悪すぎる... そこである対策を施すことにした。それを話すとパートの方からは反対された。「自分の仕事が減ってしまう」と。でも絶対この対策が必要だし、それが原因でクビにしたりはしない。逆に仕事を増やして効率的に仕事ができる環境を作りたいと説得した。 ようやく納得してくれた。
年末には技術的な目処がつき、年始には予算を付けてくれることになった。お金をいっぱい使えると喜んだのもつかの間、その後4ヶ月間は殺人的な忙しさだった。装置メーカの方と細かい仕様を打ち合わせし、わがままも聞いてもらった。今となっては本当に感謝している。装置以外の付帯設備を揃えるのは思った以上に大変だった。細かい仕様とともに、専門外の計算をしなければならず、抱える仕事量は爆発寸前だった。そしてお金を使うことがすごく難しい仕事なんだと思い知らされた。 でも、とても楽しい仕事だった。
生産設備が整い、徐々に業務体制が整い、仕事も増えてきた1年後、あるメーカーのお客さんから説明に来てほしいと連絡があった。あまりお客さんと接する機会も無いので、期待が少しと、ものすごい緊張でお客さんの会社へ伺い、説明させていただいた。 色々、質問を受け、なんとか応答し、一番最後に「こんなに良いものは初めてだ。これからも使わせてもらいますよ」というお言葉を頂いた。 涙が出そうになるくらいうれしかった。
その時、はじめて「技術者になってよかった」と思うことができた。「お客様は神様です」という言葉の本当の意味を身に染みてわかることができた。そして自分はラッキーなんだと思った。
数年後、私は転職した。技術者としてステップアップするためにどうしても必要だと思ったからだ。結婚もした。子供も生まれた。10年前のトゲトゲしい、反社会的な自分はどこかへ行ってしまったようだ。
残っているのは技術者としての執念だけ。誰かに自分の作った技術・商品で喜んでもらいたい。そしてメーカーの方からお言葉を頂いた時の喜びをもう一度感じたい。ただ、それだけ。
お金も大切、地位も大切だと思う。同じように技術者特有の喜びを探し続けることも大切。10年目の今日。改めて考えてみた。 これから自分は何をしてゆくべきなのだろう...