どの世代においても過去の若者達は現在の若者達を見ては「今時の若いのは... ブツブツブツ」というもの。若い方は「年寄りは引っ込んでろ」と言い出し世代間の対立はいつの時代にもあるもの。
ホリエモンがプロ野球に進出しようとしたときに読売のナベツネと対立して「老害」という言葉を使ったことは記憶に新しいですね。確かに自分の立場を必死に守ろうとする老人もいますが、それをもって高齢者全てが老害であるような言動は避けたほうがよろしい。
やはり年長者の意見には耳を傾けるべきだと思う。生活の知恵一つを取ってみてもすばらしいものがあるし、酸いも甘いも知った方々の意見を拝聴するのは面白いものです。冗長な話は勘弁していただきたいが...
昨年退職された技術者の大先輩がこんなことを教えてくれました。「もし最新の技術でわからないことがあるならば、昔の文献を探して見なさい。過去に同じことに挑戦してきた人たちが必ずいる。過去に学べ」と。
温故知新という言葉があります。古きに交わり新しきを知る。過去から正しく学べば怒っている暇は無く、いがみ合う必要なんてほとんどないはず。
産経抄 4月15日付
行き付けの本屋で『老人駆除』という書名が目に飛び込んできた。特定の言葉で背筋が寒くなったのは、たぶん「民族浄化」の恐怖以来だろう。ユーゴ内戦のさなかに、大量虐殺によって異民族を絶やそうとした暴挙だ。
▼ホリエモンの『稼ぐが勝ち』にも似て、衝撃的な書名で人目を引く魂胆か。誰しも連想するのは、深沢七郎が描いた姥(うば)捨て山伝説の『楢山節考』だ。でも、伝説と論評は違う。精神科医の香山リカさんは、雑誌論文で「あの物語よりもっと非情な“姥捨て”のすすめだ」と怒っている。
▼たしかに、高齢者を弱者として手厚く保護すれば、日本の財政が崩壊し、そのツケを若者が払わされる側面がある。ここからどう知恵を絞るかだ。五十直前の著者にいわせると、世にいう年金不払いとは若者が年金世代に対して仕掛ける戦争なのだそうだ。
▼年金世代というのは日本という国家に巣くうシロアリか、もしくはがん細胞であって、これを「生かしておく理由などどこにもない」と断言する。わずかな救いは、「自助や共助の考え方を持っている人間は、別段、駆除する必要はない」というあたりだろうか。
▼だが、こんなレトリックには負けられない。彼らが「老害」を非難するなら、なぜ積極果敢に攻め込まないのか。社会の主要ポストを奪いとり、自らの才覚でカネも栄誉も増やせばいい。昭和四十七年生まれのホリエモンや四十四年生まれの永田寿康前議員のような粉飾や偽メールの暴走はよせ。
▼ついでに、せっせと子供を産んで非老人層を増やしたらどうか。だいたい、世代をひとくくりに「老害」だの「若害」はないものだ。「害」は世代とは無関係にあるところにはある。以上、老人予備軍のボヤキである。