2006年05月02日

よい体罰、悪い体罰

 つい先日、戸塚ヨットスクールの戸塚校長が刑期を終えて出所した。事件としてマスコミに取り上げられたのが1980年ころらしいので、もう四半世紀経っている。当時私は小学生だった。

 小学生のときとんでもない教師が担任だったことがある。彼はバリバリの共産党員で、教室内では暴力を振るいまくった。職員室にいると他の教師とうまくいかないので、ずっと教室にいて生徒達に難癖を付けては怒鳴りつけ、張り手を食らわせた。
 教室内では完全な独裁者だったが、親の前に出ると大したことはないようだった。ただし、親が教師の方針に文句を付けよう物ならば、翌日その子供は教室内で罵倒されることになった。

 こんな来歴もあり、私は共産党、および左翼の連中が大嫌いである。

 戸塚ヨットスクール事件がマスコミを賑わせたころは、まだこの暴力教師のイメージが強かったため、戸塚校長も同じようなものだと思っていた。
 しかし、最近はそのように考えなくなった。尤も3名もの尊い命が失われたことは十分に反省していただかなければならない。たとえまともに社会生活も送れないような、今で言う引き篭もりのような連中であってもである。

 でも、これが『体罰』を否定することにはならない。

 私の担任だった男のように、「宿題忘れたから往復ビンタ」とか「なんか気に入らないから渡り廊下の雑巾がけ30往復」のようなお山の大将が自分の権威を誇示するために体罰を行うのはだたの暴行・傷害であるけれども、真に子供の甘ったれた精神を叩きなおすための体罰は教育であると私は考える。

 近年の親(保護者)、マスコミは学校や教師に子供のしつけ役を期待する一方で、「どんな理由であれ体罰は良くない」という意味不明のルールを押し付けている。

 日本のような自由で民主的な国で子供の権利をこれ以上拡大する必要などないし、子供たちが自分の自由やら権利を主張することも必要ない。子供の権利は大人たちが子供を守ることで行使されるはずであり、子供たちは社会性を身につけるために年長者のお小言を甘んじて受け入れる経験も必要である。

 現在のように子供達が平気で年長者に暴力を振るい、ところ構わず座り込み、人の話を聞くべきときにポータブルゲームに熱中するのはやはり戦後民主主義やら日教組のキチガイじみた教育の成果なのだろう。

 藤原先生の「国家の品格」に出ていたが、会津藩の什の掟の最後には「ならぬものはならぬものです」とあるそうだ。社会の慣わしを理解するのに理由や説明など必要ないのであって「ダメなものはダメ」といわなければならないのだろう。どうしてもわからない、わかろうとしない子供には必要ならば体罰もやむをえないと思う。




戸塚校長、刑期終え出所 「体罰は教育」スクール指導復帰

 愛知県美浜町の戸塚ヨットスクールで1980〜82年、訓練生2人が死亡、2人が洋上で行方不明になった事件で、傷害致死罪などに問われ、懲役6年の実刑判決を受けて服役していた戸塚宏校長(65)が29日、刑期を終え、静岡刑務所を出所した。出所後、静岡市内で会見した戸塚校長は「(スクールでの指導を)これからも続けたい」と述べ、復帰する考えを明らかにした。


喫煙注意で暴行、罰金刑の男性教諭を懲戒処分…長崎

 長崎県教委は2日、レストランで喫煙していた高校生ら3人(いずれも当時16歳)に注意した際、暴行を加えたとして罰金刑を受けた同県佐世保市立小の男性教諭(47)を停職6か月の懲戒処分にした。
 県教委によると、教諭は昨年7月、自ら開いている空手道場の指導者2人と、同県佐々町のレストランを訪れ、喫煙していた少年らに注意した。
 少年らが反抗的な態度を取ったことから、店外に連れ出して、顔や腹を殴るなどした。昨年12月、佐世保簡裁から暴力行為の罪で罰金15万円の略式命令を受けた。
 教諭は罰金刑を受けたことを学校に報告せず、今年3月に把握した佐世保市教委などの調査にも「交通違反と一緒だから上司に言う必要はない」「最近の子どもは良くない。店からは感謝された」と話したという。
(2006年5月2日21時32分 読売新聞)
posted by Windy City at 21:56| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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