2006年05月14日

母の教え

 今日は母の日。成長してゆく自分の子供を見ていると、やはり母親というのは何にも変え難い特別な存在なんだなと思わせられる。

 現在、両親とは離れたところに住んでいるため母に会うのは年に数回程度だけれども、やはり母の存在(当然父の存在も)は私にとって大きなものである。親となって初めてわかった両親の苦労、想い、配慮などなど数えたら切りが無いくらい... いくら感謝してもしきれないくらいだと思う。

 私が大学受験の頃、母は病床に臥せっていた。体調がずっと思わしくなく、寝たり起きたりを繰り返し本当の原因を突き止めるのに1年以上もかかってしまった。遂に私が浪人生の夏に入院することになり、家族は精神的にとても落ち込んだ。
 家事は全員で分担することになり、予備校へ行くため早く起きる必要がある私は朝食と自分と弟達の分の弁当を作ることにした。弁当とはいってもおかずは冷凍食品のミックスベジタブルを炒めたものや、ハンバーグ、玉子焼きといった簡単なものだった。しかし玉子焼きはどうにもまずかった。分量は間違えていないはずなのに... しばらくして弟達は直接私には言わないものの「玉子焼きはおいしくない」と思っているとのことを他の家族から耳にした。「作ってやってるんだから文句言うな」と思うけれども、その時は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。母親が病気で入院し、それでなくても不安なのに弁当までまずいんじゃ救いようがなかった。

 何とかおいしく作れるようになりたいと思っていたところ、母が外泊を許され、一晩だけ帰宅した。翌朝、無理を言って玉子焼きを目の前で作ってもらった。材料の分量は同じだけれども、違うところがいくつもあった。

 まずはフライパンに引く油の量が私よりも少し多かった。そして火は強火だった。私は朝の忙しい時間に絶対に失敗したくないばかりに火を弱火にし、確実に玉子焼きを作ろうとしていたため焼き時間がかかりすぎていた。そのため油が変な風に卵に染みてまずくなっていたのだった。
 母の手さばきは見事だった。強い火で熱した油の中によくといた卵を流し込み、あっという間に玉子焼きを作ってしまった。

 この時、玉子焼きの作り方のほかにもう一つ重要なことを母に教えられたと思っている。浪人生だった私は当然多くの不安を抱えている。確実に大学に合格したいけれども、何を重点的に勉強するべきか... 不安だらけの毎日だった。だから勉強も自分で作った玉子焼きのように、全然うまくいっていなかった。母はそんな自分に対して思いっきりやって見なさいと言ってくれた様な気がした。
 その時何かが吹っ切れたような気がした。思いっきり勉強しようと思った。だからといって全てがうまくいったわけではなかった。第一志望の大学に合格したものの、そのほかの大学は滑り止めと思っていたところまでが不合格だった。でもあのときの母の教えがなかったら第一志望も受からなかったかもしれない。

 今では病気だった母も元気になり、孫も生まれ、元気に活動している。苦労が多かった人生だから、これからは楽しく過ごして欲しいと願っている。



 今日はついでにCDの紹介。私と同年代にもかかわらず新人歌手ダニエル・パウター(Daniel Powter)。しかもヒップホップ全盛の時代にあってなつかしい感じさえするサウンド。ヒットチャートでもそうだけど3曲目の bad day はおすすめです。


You sing a sad song just to turn it around
悲しい歌を歌うのはそれを変えたいから
posted by Windy City at 22:17| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東京大空襲犠牲者遺族会の国賠請求

 また溜息も出ないような馬鹿どもが言いがかりを付けてくるようだな。(w

 弁護団の中心人物と思われる児玉勇二という弁護士は 財団法人アジア女性交流・研究フォーラムとかいうジェンダーフリーを主張する団体とかかわりが深いな。まぁ何かと人権を叫ぶ胡散臭い奴だ。

 基本的に訴訟する相手を間違えているので「棄却されて終了end」に50ウォン賭けてやる。わーい(嬉しい顔)




 約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲(1945年3月10日)の被災者や遺族でつくる「東京空襲犠牲者遺族会」(星野ひろし会長)は14日、国を相手取り、損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こすことを決めた。
 同日、都内で開いた定期総会で、6月中旬に原告団を結成し、8月中の提訴を目指す方針を了承した。
 遺族会によると、東京大空襲の被災者らによる集団提訴は初めて。
 遺族会は、戦後60年を迎えた昨年8月から、「被災者や遺族が高齢化する中、空襲被害の悲惨な実態を明らかにしてその責任を問いたい」として、集団提訴の準備を進めてきた。
 遺族会によると、原告になりたいという意向を示している会員らは134人。うち五十数人が被災体験や戦後の生活実態をつづった陳述書を遺族会に提出しており、最終的な原告数や賠償請求額を含む訴えの具体的な内容について、弁護士十数人が協議している。
 遺族会では、戦傷病者戦没者遺族等援護法により、旧軍人軍属やその遺族に年金支給などの救済策が施されている一方で、多くの民間被災者が援護対象になっていない点を指摘。星野会長は「空襲の民間被災者を放置してきた国の責任を追及したい」と話している。
 遺族会の児玉勇二弁護士は、「空襲自体は米国によるものだが、日本政府には戦争を開始した責任があり、被害を回復する義務がある」と強調している。
 第2次大戦中の空襲被害を巡っては、45年の名古屋空襲の負傷者2人が国を相手に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁が87年6月、「戦争犠牲ないし戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところ」として原告の上告を棄却している。
(2006年5月14日20時48分 読売新聞)
posted by Windy City at 21:39| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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