月に一度、業界団体の技術会議に出席する。同業他社の方々と会議をするので、若造の私にとっては大変勉強になる会議だ。そして、出張の前に少し時間があることが多いので、会議が開かれるお茶の水周辺を散歩することが多い。
今日は天気も良く、花粉が多いことを除けばとても気持ちが良いのでデジカメを手に桜の名所である、靖国神社と千鳥ヶ淵にまで足を伸ばしてみた。
桜は8分〜9分咲きでとても美しかった。

当然人出もすごく、千鳥ヶ淵の遊歩道は渋滞するくらいだった。

【千鳥ヶ淵の桜】

【靖国神社の桜】
さて、もう一つ。帰りに新宿の紀伊国屋書店へ寄り、こんな本を買った。もう古い本の部類に入るのかもしれないが...
帰りの電車の中でパラパラと読んでいたら、もう20年位前に読んだ太宰治の「走れメロス」に目が留まり、一気に読んでしまった。20ページにも足らない短い話なのであっという間に読めてしまう。
そして、今日の題名「友のために自分の命を捨てる」。これは聖書の言葉。
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
ヨハネによる福音書 15:13(口語訳)
この3つに何の関係があるのかと思われるかもしれない。しかしとても関係が深いと私は考える。
1つは靖国神社・千鳥ヶ淵の戦没者墓苑。これは戦争で日本のために戦い、亡くなった方々を祭り、記念する場所。 多くの人が特攻や戦闘、負傷、病気、飢えなどで亡くなった。中には戦争犯罪人という汚名を着せられ、まともな裁判もされずリンチのような形で処刑された。しかし、多くの方が遺書に残しているように、自分の命を捧げるのは国、そして子孫のためであった。
2つめの「走れメロス」。メロスは義憤に駆られ、暴君を殺そうとするが、逆に処刑されることになる。しかし、3日の猶予を願い出て最愛の妹の婚宴を行う。そのため、3日間親友のセリヌンティウスを人質として暴君に差し出す。信頼関係で結ばれた親友同志は、互いに命を差し出す覚悟であった。
3つめは聖書の言葉。一日の間に、上の二つを見て、読んで、考え、心に浮かんだのがこの言葉だった。
自分は妻や子供のために命を捨てる覚悟ができているのだろうか?なんか、いざとなったらみっともなく逃げ出すような気がしてならない。そういった覚悟が自分のフニャけた精神に宿る隙間もないような気がする。
また、残念なことに今日の日本のキリスト教会の大方の意見では、戦争で死んだ日本人を、「狂気」とか「軍国主義に騙された・踊らされた」などの表現をし、批判する。実に情けなく、怒る気にもならないくらい.... 情けない。
2000年前にイエス・キリストが十字架に架かり、人類の罪のために死なれたことは自分のこととして受け入れているのに、遂60年前に日本のため、自分たちの子孫のために命を投げ出した兵士のことは気にも掛けない。
自分自身と日本のヘナチョコクリスチャンにもう一度問いたい。あなたは「友のために自分の命を捨てる」覚悟ができているか?
posted by Windy City at 00:30| 東京 ☁|
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